死ぬ気でやれよ死なないからの本当の意味。演奏に通じること

「死ぬ気でやれよ 死なないから」という言葉は杉村太郎さんが遺した言葉として知られています。

学校の先生も当時の授業で言っていた気がしますし、聞いたことがある人も多いでしょう。

この言葉には賛否両論あるようです。

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「死ぬ気でやったら本当に死んでしまうよ…」というような意見もあります。

それは程度にもよるでしょうし、どんな場合にもこの言葉が通用するわけではないですよね。

死ぬ気でご飯を何日も食べなければ餓死してしまいます。

死ぬ気で寝る暇も作らず何日も働き続ければ過労死してしまうかもしれません。

こんなに極端な我慢をする必要はありません。

そんな極端な例は置いといて、私はこの言葉がわりと好きだったりします。

だからといって私は毎日死ぬ気で努力しつづけているわけでは決してありません。(笑)

「必死」という言葉があります。

これはもっと頻繁に使われますし、誰もが知っている言葉ですよね。

「必ず死ぬ」と書くと改めて思うとびっくりしませんか?

私は今よりもずっと未熟だった頃、「演奏に情熱を注ぎなさい」と言われてもなかなかそれが出来ない子どもでした。

集中もして頑張っているつもりなのに、傍からみるとさらっとやってのけているように見えていたようです。

「BGMのような演奏ね」とよく言われていました。

私の奏でる演奏は、聴いていて気持ちいいけれど、何も心に残らなかったそうです。

それが当時の私の持ち味でもあったようですが…

大学4年生の頃に、大切な人を亡くしました。

その時に、生まれてはじめて、感じたことのない苦しみを強く感じました。

その直後は特に、ピアノを弾く以外、何もしたくありませんでした。

ただただ、ピアノに感情をぶつけていました。

その時の心は、いつもよりも「死」に近い気がしました。

色で言うと、黒のような灰色。

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毎日、泣いていました。
それからわりとすぐに、ステージで演奏する機会がありました。

その時、初めて死ぬ気で演奏することができたのです。

「ここで死んでもいいや」というつもりで自分を表現しました。

「間違えたらどうしよう」というような不安はなく、周りの視線も気になりませんでした。

案の定、死にませんでした。(笑)
その時に、演奏って、これくらい必死の覚悟でするものなのかと初めて気がつきました。

人間は歳を重ねる度に絶望を覚えます。人は皆いつかは亡くなります。

当然のことです。だからこそ、どうしようもなくて、ただただ絶望を感じてしまうのですよね。

大切な人を亡くすこと以外にも絶望的になることはありますね。

その時の心は死んだように真っ暗闇になってしまいますが、そんな苦しい時こそ、人間味がものすごく出て、「生」を感じます。

人間だからこそ、どん底におちて、絶望を感じることもある。

気楽に生きることも大切です。

でも、生きていればずっと同じペースで気楽でいられるわけではなく、時にはショックを受けたり絶望的になってしまうことだってあります。

人間の色んな感情をうまく表現できたら、最高の芸術になるのではと思います。

死ぬ気で、必死で、演奏をするとはこういう事なのではないでしょうか。

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