洗脳・マインドコントロールの長所、短所。信じること、信じないこと

あなたは、人を信じすぎるところがありますか?

それとも、人間不信に陥ってしまっていますか?

いつも通っている鍼の先生は、身体を調整してくださるのはもちろん、人生相談にものってくださる心あたたかい方です。

私は日々感じている自分の正直な思いを包み隠さず先生に話しています。

〜心がからっぽ…?!〜

ある日、先生に、「君は心が空っぽだよね。」と言われました。

私はその意味がすぐに理解出来なかったのですが、先生いわく「心が洗脳されていなくて空っぽだ」という意味らしいのです。
洗脳で溢れている世の中だから、なかなかこういう人はいないとのこと。。

それを聞いてから、私は世の中にありふれる「洗脳」について、また、自分はなぜ先生から「心が空っぽ」だと思われたのか考えるようになりました。

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〜さまざまな洗脳のかたち〜

「洗脳」という言葉は、相手の思考を改造することで、悪質なマルチ商法や宗教などで行われているイメージが浮かびますが、それだけでなく、考えてみれば日常会話やテレビ、メディアなど先生の言う通り身の回りにも溢れていました。

すごく恐ろしいもののような気もしますが、悪質なものだけでなくいい洗脳もあると思うのです。

「あなたのその言葉で私は変わりました。どん底からはい上がり、幸せになることが出来ました。感謝してもしきれません。」
と、誰かが誰かに感謝しているのを聞いたことがあります。

その人にとってそれは無くては助からなかったかもしれない、かけがえのないもの・人だったのだから、その人の思考を変えて救うことができたということで、それは紛れもなくいい洗脳でしょう。

ビジネスにも洗脳はついてまわります。
商品を買ってもらうには、その商品のいいところをアピールしてお客さんに「買いたい!」という気持ちにさせなければなりません。
これも、ある意味洗脳でしょう。

しかし、嘘をついたり過大にアピールしすぎたり、無理に買わせるような行動をしてしまうと悪質なものになってしまいます。

その商品を買ってお客さんを幸せにしたり、助けることができれば、お店側もお客さんも幸せになり、それは結果的にいい洗脳だとも言えるでしょう。

色々な洗脳のかたちがありますが、「信じるか信じないかはあなた次第」というどこかで聞いたことのあるようなフレーズはその通りだと思います。

なぜかというと、人間はひとりひとり性格も感じ方も好みもみんな違うからです。

〜あの人と私〜

ある物に対して、あの人は言いました。

「これは間違いない。あなたもこれをやっておけば絶対にいい。自分はこれで幸せを手に入れた。もう何も怖いものはない。」

だから私も試してみたけれど、全然効果があらわれず、何も変わりませんでした。

あの人は嘘つきだ。

結局、この2人の間はぎくしゃくしてしまいました。

このお話について感じるのは、「あの人」にも「私」にも問題があるのでは?ということです。

まず、「あの人」についてです。
自分とは違う人間の「私」に対して、「絶対よくなる」などという根拠のない自信をもって価値観を押しつけるのはどうかなと感じます。
みんな同じ人間だけれど、相手は自分とは違う人間なのだから。
そして世の中に「絶対」はないのだから。

「私」については、あの人のようには変われなかった。だからって、「あの人は嘘つきだ、詐欺師だ」と決めつけるのもどうかと思います。
あの人はあの人で、何らかのことで現状に悩んでいる「私」のことを思って、自分が試して効果のあった方法を良かれと思って勧めてくれたのだから。

「あの人」、「私」の2人をあげて例文を作ってみましたが、これは私が過去に何度も経験したようなことです。

職場、友達、先生、テレビ、インターネット。

「これをやっていれば絶対に大丈夫」というような言葉に何度「だまされた」と感じたことか。

〜「裏切られた」という感情〜

私は、何度も「裏切られた」と感じて、あまり人を信じないようになってしまって、「心がからっぽ」になってしまったのかなと思います。

裏切られた」。
この気持ちは、相手を信じすぎていたからこそ起こる感情です。

以前の私は、人を信じすぎるところがあったのです。

自分に関わる周りの人はみんな仲間だと思っていたし、周囲のみんなに過剰な期待をしすぎていたからこそ、その反動でより「裏切られた」と感じてしまったようです。

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〜「信じる」ということ〜

果たしてこの「心がからっぽ」はいい状態なのか?と言われると、もしかしたら理想的ではないのかもしれません。

でも、それまでの私は人を信じすぎるところがあったので、ある意味リセットができて、よかったのかもしれません。

さきほど例に挙げたお話のようなトラブルは、人を信じすぎることで起こることだと私は感じています。

夢のないことを言いますが、どんなに好きな人、信じたい人をどれだけ信じても、その「根拠」や「絶対」はないのです。
将来どうなるかなんて誰にもわかりません。

過度な期待をすることは危険です。

でもだからといって人間不信に陥ったら、人生楽しめないじゃないですか。

「信じることは根拠のないことだけれど人生を豊かにするために必要」なことだと私は思っています。

なぜ「信じる」ことで人生が豊かになるかというと、人は一人では生きていけないからです。

心から信頼できる人とお互いに信じ合いながら、共に生きていくからです。

信じたい相手がいるって、すばらしいことです。

鍼の先生は、「僕の話は半信半疑で聞いてくれていいからね」と言って下さります。

ですが心が空っぽとは言いながらも、私は鍼の先生のことを信頼しています。

かつては人間不信に陥ったこともありましたが、今となっては心から信頼、感謝できる仲間がいます。

何事も過度に信じすぎることは危険ですが、信頼しあえる関係を作っていくことはとても大切です。

信じ合える仲間がいることで、この先どんなことがあっても、壁にぶつかっても、泣いてもがいたって、仲間がいると思えば乗り越えられる気がします。

この記事では「信じる」ことを否定するようなことも言ってしまいましたが、このように「信じる」ってステキなことだとも思うのです。

これからも、仲間からたくさんの影響や刺激(ある意味洗脳)を受けて、私自身も成長していきたいと思っています。

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